大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成9年(あ)434号 決定

本籍

山口県大島郡橘町大字西安下庄五四番地

住居

岡山県倉敷市連島三丁目六番三三号

会社役員

末金辰一

昭和一八年七月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成九年三月二一日広島高等裁判所岡山支部が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人院去嘉晴の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 福田博 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)

平成九年(あ)第四三四号

上告趣意書

所得税法違反 末金辰一

右被告人に対する頭書被告事件ついての上告の趣意は左記のとおりである。

平成九年六月一六日

弁護人 院去嘉晴

最高裁判所

第二小法廷 御中

第一点 原判決には次に述べるとおり、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある。

一、原判決はその六頁において、「本件起訴から差戻後の一審判決までの経過・・は、本件事案の規模、態様及び複雑性等が捜査及び起訴後の審理を困難にし、判断のそごを来した結果であって、やむを得ない」と認定したが、これは明らかに誤認している。

1、まず、本件の経過のうち、最も重要な被告人の逮捕後の状況は次のとおりである。

(1) 平成三年二月に、被告人の母、同兄、被告人の順で検察官の取調が始まり、同年三月一日に至って、被告人方、有限会社矢島電機商会など六ヶ所が一斉に捜査を受けるとともに、被告人は不当にも逮捕された。

(2) 被告人は、山之内、藤田両公認会計士、柴田税理士らの言を信じていたので、逮捕された後に取調に当った水沼検事の説得を受けながらも、三分割説を主張していたが、同検事は次のような違法、不当な取調をなした。

即ち、同検事は殆ど拘置所で取調をしたが、逮捕した三月一日から三月一二日頃までの間、毎日のように検察官の言うとおりに認めるよう要求し、この間度々、「このままだったら間違いなく実刑になる。二、三年は外へ出られん、保釈にもならん、子供にも会えん。おっさん、いいかげんにあきらめて頭を下げろ、下の子供は学校をずっと休んでいるぞ、とことん頭を下げないと執行猶予はむつかしい。」等と、ある時は語気鋭く責めたて、自白を強要した。そして水沼検事及び主任の大木検事は、被告人の弁護人であった岡野新と通謀して被告人が自白するように仕向け、執行猶予になるように起訴する、脱税額を総額で五億円未満にすると言って、架空の借入金利息を計算して、所得から控除するような工作をし、更には岡野弁護人において、被告人の知人であって弁護人にもなっていない山上東一郎弁護士を三月一一日に被告人に面会に来させ、山上弁護士から三分割説の主張を撤回するよう被告人を説得させた。被告人がこの頃、弱気になっていたのを見た水沼検事は、「とことん頭を下げれば執行猶予が付くが、とことん頭を下げるということは修正申告を書いてもらわんといかん、修正申告を書かないと保釈にもならない。」等と言って修正申告をすることを強要した。

また水沼検事は取調中に、分別管理をしていなかった事件の判例を示して、「君のように分別管理をしていない場合は、行為者一人に対し、全額課税する判例になっている。」と、あたかも本件と同じ事例で一人課税の判例があるとの嘘の説明をした。

(3) 他方、被告人の内心的状況としては、初めて逮捕されて精神的ショックを受けていた。拘置所へ入所した時、看守の前で素裸にされて検査をされたし、用便をするにも人に見られる状況だし、風呂にも十分入れないうえ、風呂に入っても見張られている。少し何かあると看守に大声で怒鳴られる。食事も食べたことのない内容で食が進まず、部屋は埃があって健康にも悪かったし、夜中も二〇ワットの蛍光灯が灯っていて寝苦しかった。拘置所から外へ出る時は手錠をかけられる等、拘留されていること自体が心身ともに大きな負担であった。

更に、家族のことも、妻のことや子供が学校を休んでいる等の心配があった。

また、被告人は水島公害の患者として公害医療手帳の交付を受けている身で、自分の健康にも自信はないし、このまま拘置されることの不安は日々に増していた。

以上のような状況から、被告人は三月一二日水沼検事の言うとおりに調書を作って貰う覚悟をせざるを得なかったのである。

(4) 一方、同月一二日に接見に来た岡野弁護人が、「山上君から連絡があって、三分割説を止めると聞いたので急いで来た。脱税額が五億円を切れば執行猶予が取れるので協力して欲しい。お母さんの一〇五〇万円の投入資金を分別管理があったとして、それに見合う所得分を脱税額から減額して貰うので、その代りに昭和五七年の兄名義の四二九七万円を兄から借りたことにして欲しい。そうすれば私が助かるのだが・・。ただ、検察官がその線で了解してくれるかどうかお願いしてみるので、了解が得られれば右のとおり調書を取って貰いなさい。」と言ったので、被告人は「言われたとおりにする。」旨答えた。

(5) そこで岡野弁護士と同人に同調して検察官のもとに同行した木津恒良弁護人は同月一二日頃、検察官との間で三分割説を放棄する代りに、母の一〇五〇万円に見合う所得分を控除して貰う、その代りに右四二九七万円を兄から借用したものであることを認め、これについての利息分を経費として控除して貰う、こうして脱税額を四億円台に落して貰うという取引をした。

そこで、前記の取調状況のもとで、被告人は「とことん頭を下げ」、その旨の供述調書が作成されたというのが真相であって、このようなでっち上げの事実のもとで被告人が差戻前の一審で実刑とされたのであるから、たまったものではない。現に検察官は右一審の論告の中で、「右一〇五〇万円から生じた売買益は節子に帰属することを認める余地があるに過ぎない」と言いながら、逆に「被告人に帰属するという処理も可能である」と言って、暗に取引があったことを認めるような記載をしていた。

ちなみに、被告人を取調べた水沼検事は拘留中、被告人に対し、「所得を減額して脱税額を下げて執行猶予を取るという岡野弁護人の考えが一番正しい。他の弁護人や税理士は責任を取る訳ではないので、無責任なことを言うのだ。」と言って岡野弁護人を褒めていた。

右のような取引があったため、母、兄に対する取調は、この取引に従ってなされており、従ってその供述調書の内容も措信できない所が多々ある。

2、かくして本件は、国税当局の三分割説を認めない告発に誤りがあるし、検察官も十分に事案の内容を検討することなく、逮捕しなくてもよい被告人を逮捕したうえ、偽りの自白を強要し、その結果真相がねじ曲げられて起訴され、複雑になったというのが事実であって、責任はこのような国税当局及び検察官の態度にある。原判決の認定は誤っている。

二、原判決はその二頁において、「・・被告人が、所得税を免れようと企て、借名口座を利用して有価証券売買を行うなどの方法により所得を秘匿したうえ・・」と認定しているが、被告人は借名口座を利用して株の売買による所得税を意図的に免れようとした事実はない。

1、まず、被告人が借名口座を作ったのは、亡父末金寿満が残したいわゆる簿外資産を利用して株式等の取引をしていること、即ち出資元、資金源を知られたくないという理由からである。そして借名口座を作ったのも、昭和五二年、五三年であって、岡三証券、山一証券で作っていた。

即ち、被告人は借名口座行為そのものが違反であり、従って、この借名による取引分は表に出せないと思い込んでいたのである。そして借名を本名にすることにつき、証券会社の営業担当者、事務責任者に相談したが、誰からも詳しい正確な助言がなかった。そして被告人は昭和五七年ごろ株式売買の際の非課税枠を知ったので、借名はこのままで仕方がないとしても、売買回数の違反をしてはいけないと思って、被告人なりに、出資者が三人であるから、一人五〇回以内で、三人なら一五〇回以内でよいと判断し、一五〇回に注意しながら取引をしていた。

2、被告人は当時、借名自体は違反ではないことに思いが及んでいなかったし、他人から資金を預かって株式の取引をする時、その資金を各人の資金毎に分けていなくても、資金提供者ごとに一年につき五〇回の取引が認められると思っていたのである。

それ故に被告人は、日経平均株価が急騰した昭和六一、六二年であったのに、いずれも一年につき売買回数を一五〇回以内に収めているし、山一証券にあった借名口座分の多額の配当金を、昭和五〇年代の後半以降受取っていない。これも借名が分ってはいけない。出資元を隠しておこうと思って、配当金を受取らなかったのである。

3、この他に被告人は、(1)複数の株式の取引については、証券会社で総括伝票を作成していること、(2)その取引は年間一銘柄につき二〇万株以内でなければならないことも知らなかった。

右(1)については、被告人は証券会社から一回も総括伝票の発行を受けたことがなかったし、右(2)について被告人は、昭和六二年夏ごろまで一銘柄の取引が一回二〇万株以内ならよいと思っていたことが明らかである。現に、検三〇の田中優(山一証券)の調書七項には、「・・同一銘柄二〇万株の要件については、ご存知なかったようでした」と記載されている。

4、原判決はその六頁において、「被告人には元々有価証券取引による所得について納税の申告をする意思が一切なかった」とまで言っているが、これも大いなる誤りである。

即ち、被告人は前記1の回数制限を守っていれば、その所得につき申告はしなくてもよいと考えていたのであるが、前記の検察官の取調の過程で、真意ではない調書を次々と取られて、右の認定に沿うような供述をさせられる羽目になったのであるのに、原審はそのことを理解していないのである。

被告人、弁護人はこれまで、一人一年につき五〇回迄の取引回数の非課税枠があるから、三人分なら一五〇回迄よいのではないかと主張して来ているが、これまでの判決は何故かこの点は素通りしており、このことも原判決の事実誤認の一因と思料する。

三、原判決は、その三頁において、「株式取引による利益は自己の才覚や努力の成果であり、これを正直に申告して多額の税金を納めるのが惜しいとの気持が働いたことや将来の生活資金の蓄積を考えたことなどから脱税行為に及んだことが認められ」と認定したが、これは誤認である。

原判決のこの認定は、被告人の平成三年三月七日付供述調書(検四〇)の四項を要約したものと認められる。しかしこの頃、被告人は三人の資金で取引しているので、取引回数は一五〇回でいいのではないかと検察官に述べていたので、右調書に記載のようなことを検察官に言う筈がないのであるが、前記のとおり検察官から脅迫されており、法理論に合致しない偽りの事実で説得を受けたりしていた頃でもあって、被告人は逮捕後しだいに日も経ち、不安も強くなっていたことから、意に沿わない供述調書に署名指印をさせられたのであって、右の認定の部分はその一つである。

そのような調書をもとに右のように認定されたうえ、原判決四頁に記載のように、「・・犯罪自体の情状は悪く・・」とされては、たまったものではない。

四、原判決の二頁、三頁の昭和六一年、同六二年の〈1〉所得税額と〈2〉被告人の申告所得税額が全部間違っている(差戻後の一審の訴因変更請求書のほ脱税額計算書参照)。両者とも算出税額の欄を見落として、差引所得金額の欄を引き写しているからである。そのため両年とも、原判決の、〈3〉正規の所得金額と申告税額の差額が違っている。誤った額と正しい額は、右〈1〉、〈2〉、〈3〉につき、次のとおりである。

〈省略〉

右のため、原判決の四頁に記載の脱税額の合計は一億六〇三五万三七〇〇円となるし、ほ脱税率も九九・八パーセントではなく、九六パーセントである。

また原判決は、配当控除、源泉徴収により納税した二年合計六五四万六三八二円(同計算書の「実際額」による)を考慮されることなく、二年で合計一八万六二〇〇円しか納税しなかったと認定しているが、誤認もはなはだしい。また、九九・八パーセントのほ脱税率は殆ど納税していないとの認定に等しい。従ってこれらの誤認は原判決に大きく影響していることが明らかである。

第二点 原判決は控訴を棄却して、一審の、懲役一年二月、罰金四〇〇〇万円、懲役刑につき三年間執行猶予の判決を支持したが、右第一点に述べたような経緯、真相を考慮されれば、無罪の判断もできるところである。仮にそうでなくても、前述の被告人の屈辱的な取調と、その後の長い審理及び次に述べるような事情を考慮されると、原判決は余りに重いから、これを破棄されて、更に相当な判決をされるべきである。

一(1) 被告人の妻は第一回の岡山地裁の実刑判決の頃から頭髪が抜け落ちるようになり、二年位ヘアピースを着用せざるを得なくなった。そして長男は無口になり、次男は情緒不安定となった。

(2) 被告人の母は取調の際、意に沿わぬ調書を取られたうえ、起訴後は公判の都度はるばる大阪から、原判決の前四年位は東京から傍聴に来て、一喜一憂していた。

(3) 被告人の妹村田光子も公判の都度、東京から傍聴に来ていたが、原判決の二年位前から健康を害してしまい、来られなくなって、被告人の裁判を心配している。

(4) 兄は捜査当時、連日の取調を受けて著しく業務に支障を来した。

(5) 被告人の逮捕、家宅捜索等が新聞、テレビ、ラジオ等で大きく報道され、被告人、肉親が大きな衝撃を受けるとともに、被告人の会社の大きな取引先が二、三社取引を止めてしまった。

二、被告人は思いもかけず、岡山刑務所に四〇日間逮捕、勾留され、屈辱的な生活を余儀なくされたが、水島公害病の認定三級とされているので、時節柄肺炎になりはせぬかと不安な毎日を送らざるを得なかった。

三、被告人は平成三年四月一〇日の保釈の際、保証金五〇〇〇万円、同年一〇月一五日の保釈の際、保証金二〇〇〇万円を納付したが、差戻後の一審の判決まで利息のつかない多額の金員を五年有余もそのままの状態とされていたのであって、経済的な損失も大きい。

四、更に被告人は、検察官の違法、不当な行為により、修正申告を余儀なくされて、元金だけでも、国に対して五二八、一三〇、三〇〇円、倉敷市に対して八七、九九七、九四〇円(県民税を含む)の過誤納を来しており、大きな損害を受けている。

五、そしてこれまでの六年有余の公判のため、被告人の受けたその他の時間的損失も多大であるし、精神的な苦痛も大である。

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